キハ8000形 [編集]
片運転台の二等車で1965年7月に2両 (8001, 8002) が製造され、その後1969年9月に1両 (8003) が増備された。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを1基搭載する。
キハ8050形 [編集]
運転台のない中間二等車で、1965年7月に2両 (8051,8052) が製造された。高山本線の急勾配に備え、走行用エンジンを2基搭載する。
キロ8100形・キロ8150形 [編集]
私鉄には珍しい一等車(1969年からグリーン車)で1965年7月に先頭車1両 (8101) 中間車1両 (8151) が製造された。リクライニングシートを装備し、他形式と同様の連続窓だが、座席1列に1窓の割で配置されているため窓幅が狭い。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを搭載する。
1970年の立山直通運転に際してグリーン車(旧一等車)の乗車率なども考慮した輸送力見直しが行われ、座席を普通車仕様の転換クロスシートに交換して普通車キハ8100形 (8101) に格下げされた。8151 には運転台取付改造も行われ、キハ8100形に編入されて 8102 となった。この時に取外されたリクライニングシートは当時計画のあった特急専用車に転用するため保管されていたが、車両計画の停滞により使用されないまま後年に廃棄されている。1985年に廃車された。
キハ8200形 [編集]
立山直通に際して不足する駆動力を補強するため増備。片運転台の普通車で、1969年9月に5両 (8201 - 8205) が製造された。走行用エンジン2基の他に電源用エンジンまで搭載した重装備車であり、他のキハ8000系各形式が全長 19730 mm なのに対し、床下スペース確保のため全長を 20730 mm に延伸している。これは当時名鉄の車両で最大であった。車体延長に拘らず、ラジエターの追加で定員はキハ8000形より4名減少した。また長い車体がカーブ通過時に車両限界に支障しないよう、車体幅も更に狭い 2,710 mm となっている。キハ8000系のうちで最後まで残った形式である。
沿革 [編集]
「たかやま」運用 [編集]
8000系は1965年8月から運行を開始した名鉄神宮前駅 - 高山駅間準急列車「たかやま」の専用車として、まず6両が製作された。当時から塗色は国鉄急行形気動車に準じ、クリーム4号地色に、窓回り、車体裾、屋根水切りが赤11号で、運転台周りの塗り分けも全く同一である。
冷房付のデラックス準急は名鉄沿線から高山方面へ出掛ける観光客に人気を集め、当初は全車指定席で運行されたにも拘らず、特にオンシーズンは指定席券を確保するのが難しい列車となった。
国鉄は1966年に、走行距離 100 km 以上の準急列車を急行列車へ格上げする施策を行った。このため「たかやま」も同年3月から急行列車となった。
変わったところでは国鉄からの要望でこの8000系を貸し出し、1967年7月15日 - 8月26日(8月12日を除く)の毎土曜日に、国鉄の列車として名古屋駅 - 高山駅間の臨時夜行急行列車「りんどう」に使用したことがある。この列車は下り(往路)のみ運行し、名古屋23時28分発 - 高山3時05分着のダイヤであった。具体的な運用(車両受け渡し)は、当日(土曜日)の「たかやま」と夕方の自社線(ディーゼル特急)運用を終えて燃料を補給後、神宮前 - 熱田の連絡線から国鉄側へ入線していた。上り(復路)は日曜日の高山発が未明の3時過ぎでは乗客が見込めず、また、その日の「たかやま」運用に支障しないよう回送とし、早朝に鵜沼から犬山線経由で新川工場(現新川検車区)へ入庫していた。ただし、国鉄では岐阜で進行方向が逆転(スイッチバック)するため、犬山線からは砂入信号場(西枇杷島隣接の三角線)を経由して新川工場へ入庫し、方向を元に戻していた。
名鉄では「たかやま」号の前にも間合運用で自社線内の「ディーゼル特急」を運行していたが、「りんどう」号の運転翌日はパノラマカーで代用していた。
「北アルプス」運用 [編集]
8000系の運用が大きな発展を見せたのは1970年である。この年7月、立山黒部アルペンルートが貫通(開通)し運行(乗り入れ)区間も夏季限定ではあったが、玄関口である富山地方鉄道(富山地鉄)立山線立山駅(富山駅経由)まで延長され、列車名も「たかやま」から「北アルプス」へと改称した。このため所要の車両数確保を目的として、キハ8000形・キハ8200形計6両を増備している。
またこの延長運転には名鉄が当時最も注力していた北陸進出の一環との意味合いも込められており、資本参加を画策していた富山地鉄に対する影響力の増大を意識した名鉄の企業戦略に則ったものであった。後に富山地鉄への資本参加(グループ化)は断念したが、その後も良好な協力関係を築くきっかけともなった。
1976年10月、国鉄の増収政策を背景に「北アルプス」は特急列車に格上げされた。客室設備の水準の高さがこの措置を可能としたとも言える。塗色は急行色のまま塗分のみ国鉄特急形気動車に準じた形に変更され、運転台窓下に羽根状の帯を入れた。これより、国鉄のキハ82系に一層よく似たものとなった。予備車も少なく一夜にして急行から特急へ変更する経過措置として塗色はそのまま急行色を使用したと思われるが、結局この配色は8000系全廃時まで変更されることはなく、全国で唯一、急行配色のまま運行された特急列車であった。
立山乗り入れは1983年夏まで13年間継続したが、名古屋?富山間の直通客が所要時間の短い北陸本線経由の特急を利用するようになった実情もあり同年の夏季ダイヤ終了後は神宮前 - 飛騨古川駅間に運転区間を固定し、富山地鉄への直通も取りやめた。その後、1985年には再び富山まで区間延長されたが、同時に車両運用(連結両数)も見直され余剰となったキハ8100形2両がこの時点で廃車された。
国鉄民営化によって発足した東海旅客鉄道(JR東海)は1989年、高山線特急「ひだ」に従来のキハ80系気動車に代わり、大出力エンジン搭載の新型車キハ85系気動車を投入した。1970年代後半には簡易リクライニングシート、90年代に入れば本格的なリクライニングシートが標準仕様であった優等列車の設備傾向に比し、1960年代の仕様であるキハ80系の「回転クロスシート」より水準の低い狭幅の「転換クロスシート」で、走行性能も60年代の急行形気動車並みであったキハ8000系の陳腐化が顕在化した。もとより準急列車への使用を企図した接客設備は準急・急行形としては優秀であったが、特急形の水準としては十分なものではなかった。
1990年には西日本旅客鉄道(JR西日本)エリア内への乗り入れを中止し、再び運転区間を高山までに短縮したが翌1991年、「北アルプス」の車両は後継形式のキハ8500系気動車に置換えられ、キハ8000系は残存の全車が運用を終了し、除籍された。爾後、尾西線日比野駅側線に稼動可能な状態で留置され、対外譲渡を検討したものの車齢と車体重量が原因で成就せず、最後に残ったキハ8200形5両も全て解体された。
間合運用 [編集]
8000系は「たかやま」「北アルプス」としての直通運用の他、間合運用で名鉄線内の特急列車にも使われた。また富山地鉄でも、立山での待機時間(特急昇格時ダイヤで15:05着 - 翌11:05発)が長いことから、同社線内の特急(立山 - 宇奈月間の「アルペン特急」など)に運用された時期もあった。
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